[ミハメモ]小野武彦@地下鉄車内 [ミハメモ]
日時:1年ぐらい前
場所:地下鉄
終点に着いたことに気付かず、そのまま席に座っていたら、前に座っていた中年男性も何か読み物に集中していたようで、遅れて立ち上がりました。
最初に彼を認識したのは「王様のレストラン」。
多くの人に知られるようになったのは「踊る大走査線」のスリーアミーゴス。
毎クールごとに連ドラに出演されています。今シーズンも出てますよ。
王様のレストラン DVD-BOX La Belle Equipe
- 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
- メディア: DVD
松下幸之助歴史館に行く(2) [雑記]
~前回のつづき~
テレビは戦前から開発していたが、戦争で中止されたそうで。
テレビ受信機の試作機。
ブラウン管が長すぎて横に置けないので、縦において鏡で反射させて見る仕組み。
テレビの第一号機。
さすがにこんな古いのは生で見たことない。
これでも中の回路が生きていれば、今のテレビ放送も見られるはず。
でも、2011年のデジタル移行でただの箱になります。
冷蔵庫と洗濯機。
洗濯機の右側についているハンドルは洗濯物を絞る機能。
古いサザエさんの4こまマンガとかに出てくる。
これが乾燥機の前身。
電子レンジの第一号機。
お値段は120万円ぐらい。おそらく家が一軒建つ。
やっぱりナショナルといったら個人的には電池。
家にいっぱいあった。使えなくなっても工作の材料として使ったり、分解して中の炭素棒を抜いたりしてました。(今考えるとすごく危険)
黒いほうがパワーがあるけど、値段が高かった。
今は同じデザインでPanasonicブランド。
カラーテレビ第一号機。
いわゆる三種の神器の一つ。この頃は盛り上がってたんだろうな。
昔、家にあったテレビってみんな左側のやつみたいだった。
これは、世界初のリモコン付き。マジコンと呼ばれた。(マジックコントロール?)
右側は「α」というモニター。ちょっとあこがれた。
いまや「α」はソニーの一眼レフカメラのブランドだし。
VHSビデオの「マックロード」。
ちなみに、今いるオフィスの食堂には「マックロード」(Nationalブランド)が置いてあります。
使ってるところ見たことないけど。
電気ポットと電気釜。
この頃は、保温機能なんてなかったのだ。
なんか写真は製品ばかりですが、ちゃんと経営のお話も見てきましたよ。
数年前、「マネ下」といわれてた頃(そんな歴史は紹介されていません)から比べると、最近の勢いは創業当時の企業理念に回帰したのではないかと感じました。業績がよくなったからそうなったのか、創業時の理念に立ち戻ったことで業績が良くなったのかはわかりませんが。まさにこころのV字回復。
もちろん、いいことしか触れられていないので、本当の黒歴史はどうだったか知る由もありません。でも、やっぱりちゃんとした創業者のもとでちゃんとした経営をしているという強い印象を受けました。
「儲け」ということを目指さずに「社会のためになにができるか」とか「自分がやりたいことをやる」ということを主眼に置いたほうが、結果的にうまく行くはずと日ごろから感じていましたが、幸之助さんによってそれが正しいと確信する事ができました。
松下幸之助歴史館に行く(1) [雑記]
関西出張でした。
その出張にかこつけて、一度行ってみたいと思っていたところがありました。
それが、松下幸之助歴史館です。
もちろんご存知の通り、彼は世界有数の家電メーカーであるパナソニック株式会社(旧 松下電器産業)の創業者であるだけでなく、企業人の枠を超えた社会貢献活動に力を入れた人であります。
世間も会社も景気が悪い中で、ただの会社員の一人である私でも、優れた経営者であった彼から学ぶことが多いのではないかと、東京を早朝に発ち、西三荘(京阪電車)の駅に向かったのでした。
だいたいパナソニック村(門真市)が京阪沿線にあるって知らなかったし。
手前の「守口市」駅からは、経営統合される三洋電機の本社が見えます。
駅を降りると辺り全部がパナソニック。
信号待ちしている人の耳にはPanasonicロゴの付いたヘッドホンが。
おそらく社員の方。
駅を降りて最初にある案内図。(クリックすると拡大します)
広大な敷地全部がパナソニック。すげえ。
とここまでの写真でわかるとおりに、歴史館はパナソニック本社(西門真地区)の一角にひっそりとあります。
駅から歴史館までは、パナソニックのキレイに整備された敷地の横を歩いていくわけです。
左側の赤い屋根が歴史館。創業時の建物を再現しているらしい。(建物自体も意外に古い)
右側の銅像は幸之助さん。
バックは本社の建物の一つ。いい写真ですね。
(自分の立場を考えると)微妙に緊張した面持ちで、入り口の階段を上ると受付があります。
もちろん入場無料、予約不要(太っ腹)なのですが、記帳を求められます。
台帳は2種類あって、社外の人用とグループ会社の人用。
あとでわかることですが、パナソニックグループ社員へ創業精神を伝えることが、この歴史館の一番の目的なのです。
残念ながら、グループ社員ではないので社外用に記帳したのですが、社名を書くのを若干躊躇しました。
そこは、やましいところも一点の曇りもないので堂々と記入したのであります。
ちなみに、私はその日の2番目の客で、その前は香港からの52人の団体さんでした。
館内の順路は、幸之助さんの生涯に沿って進んでいきます。
相当几帳面な人だったらしく、奉公に出た自転車屋の採用通知(と当時は言わないと思うが)まで保管してあり、それも展示してあるというのもすごいです。
ここで、幸之助さんの生涯とか語ってもしょうがないので、詳しくは歴史館のページを見てください。
経営理念を見に行ったはずなのに、結果的に製品の写真ばかり撮っていたのですが、まあ、見栄えはそちらの方がいいでしょう。
最初の製品「扇風機の碍盤(がいばん)」。スイッチ基板みたいなものだと思ってください。
最初は部品メーカーだったのね。本当は、ソケットを作ってたけど、売れなかったので、これを受注したって話。
ちなみに「碍盤」をググっても、パナソニック関係のページばかり引っかかる。
松下電器といえば、2またソケット。
これも本物が保管してあるのがすごいっす。
パラボラアンテナと弁当箱。
ではなくて、暖房機(ヒーターみたいなの)と電気コタツ。
コタツって、昔は木箱に木炭とか入れていたので、それを電気化したのですね。
当時としては画期的なサーモスタット付き。
こちらは松下の第一号ラジオ。でかい。
1931年なので、もちろん戦前です。
次長課長の河本がマネしている「戦前のラジオ」はこんなものから聞こえてた。
「モートル(左側の黒い塊)の製造開始」って何かと思ったら、モートルってMotorのことなのです。
これによって、扇風機とか製造するようになりました。
真ん中の木箱はラジオ。
左上に幸之助さんが写ってますね。
まだ戦争が終わっていないのでテレビはありません。
でも、戦前からテレビの開発をしていたらしいのです。松下ってヤツは。
つづきは、明日にします。
っていいながら、実は詳しいレポートがあるので、まじめな人はそちらを見てください。
【短期集中連載】(大河原克行)パナソニックの経営理念を歴史館に見る その1、その2、その3、その4、その5、最終回
(読み直すと、ほぼ展示内容が網羅されていると感じます)
[ミハメモ]FUJIWARA@某大学 [ミハメモ]
日時:2ヶ月ぐらい前
場所:自宅近くの某大学
最近は学園祭で行われるのは、音楽のライブよりもお笑いライブの方がお客さんが集まるようです。
その日のメインはこの人たち。
子どもたちの扱いを見ていると、むちゃくちゃ営業慣れしている感じでした。
ライブ終了後、タクシーで校内から出て行く二人を見かけました。
普通に後部座席に座っているおっさん二人でした